不確かな空腹を満たすもの

「不確かな空腹」が、終わりました。

なんというか、本当に長い間とんだ暗い脚本と時間を共にしてしまいました。

ひとまず、11月の28日から3日間。追加公演を合わせると6公演たくさんの方に見ていただきました。本当にありがとうございます。

未だ信じられないというか、よくここまで来れたな、と。

それくらい眩しくて、長い、大変な日々だったのだと思います。

片付けやらでバタバタしたのも多分昨日までで。やっと一区切りついたかなといったところです。まっさらになっていくギャラリーを清々しさと共に名残惜しさでずっと横目に見ていました。

今までにない思入れと時間のかけ方をしてしまい、ずっと離れ難い気持ちで収集がつかないので個人的に少しまとめようかと思います。もし読んでくださる物好きがいらっしゃったら、私の隣に最後までいてくれた大事な仲間紹介を挟みますので羨ましい、と思ってください。多分長いです。

橋谷です。

この「不確かな空腹」という脚本は私が約1年前に書いた脚本で、当初は私の通っている大学の演劇サークル第127回公演として4月に上演される予定のものでした。

2019年11月。それまで東京で演劇がやりたくても仲間皆無で燻っていた私は、制作部署として椅子を借り忘れたりお金を数え間違ったりして過ごしていたサークルでの春公演脚演コンペに自分の脚本を出しました。

それがまだ書き上がっていない頃の不確かな空腹です。

事務作業の無口一年生が急に「最終的に舞台が崩壊する」といった概要の脚本を出してきて意味が分からなかったと思います。

その後、なぜかちゃんとコンペを通った脚本は、春公演に向けて形を変え、私の手元に収まりきらないほどのものを連れて進んでいきました。

会議、オーディション、製作費、役者練、脚本改訂、会議、会議、会議、色んな作業がとりあえず目まぐるしくて、

私が今までやってきた演劇の規模ともスケールが少し違うような作業が続いて、「ああ、私、脚本が書けることによってこんな人たちと出会えるんだ。こんなところまで来られるんだ」と帰りのバスで一人、毎日思いました。なんというか冗談抜きで関わって下さった21人のことが好きだったし、日差しの入る会議室で真剣に話し合っている全員を、敬愛の目でなぞっていました。


仲間①かげやまさん:映像協力

春公演準備期間中のある日、私はかげやまさんの家にいました。

他にも何人か女の子がいて、舞台美会議の席です。

かげやまさんというのは一つ年上の先輩で、南向きの日の光がいっぱい入る家に住んでいます。

私は大学の知り合いで家に入れてもらったのはこれが初めてだったのだけど、その日寝坊で遅れてくる人を日差しを浴びながら絵しりとりをして待つという、斬新かつ今考えても平和な空気を影山さんはいつだって纏っていて、たまに思い出します。

なんというか出会ってから今までいつだってかげやまさんは穏やかで、何かしらの答えを持っていて、私はこの一年困ったり焦ったりしたらまずかげやまさんに相談して、しずくちゃん、大丈夫よ。と言ってもらっている気分になっていたのでした。

そんな会議から数日。3月。舞台美のみんなが材料を買いに行っている途中に制作は一旦中止になりました。原因はまあ、コロナですね。

本当にもう、佳境といってもいいくらい楽しかった。

悲しくて、大量のパスタを食べてる途中で寝っ転がって空を仰ぎました。

そして私より混乱しているメンバーをなだめ、家に帰って一人で泣きました。

だけど、その後の会議で、公演を中止にするか否かみんなの意見が交錯する中、私の気持ちは穏やかだった。なんというか、隣で座っている人、後ろで喋ってる人、前で板書している人、全部ほんの数ヶ月の間に私が大事にしてきた人たちで、それが今、色んな形で帰ってきている。それを全部裏切ることなく、受け止めなければいけない。と少し嬉しかったりもして、こんな会議やめて、なんか感謝とか、言いたいし、どれだけ今、ここにいる人たちのことが大事で、いかにこの大事加減を守って行こうか、と。上演を先延ばしにすればこぼれる人が出てくるとわかった状態で私は、

「このメンバーでなければ公演をする意味なんてないのだから、今の時期にできない以上、この公演はやるべきではありません。」

とはっきり言ったのでした。


仲間②まどりちゃん:美術

そういえば、ストレスが溜まった時に大量にパスタを湯がいてしまうというので共鳴できるのは後にも先にもまどりちゃんだけです。

まどりちゃんは他学科の同級生で、私が死ぬほど緊張した春公演説明会でびっくりするくらいオーラを放っていました。私は芸能人じゃなくてもオーラって出るのだなあと思ったし、ありえんぐらい感じが良くて、ありえんぐらいずっと笑ってて、なんかちょっと時空が歪んだし、そんな彼女がずっと一緒にいてくれるので、今でもたまに時空が歪む。

かげやまさんとまどりちゃんとはこの時から3人でよく舞台美の演出の話をして、「私たち、多分ずっと別の場所でおんなじこと考えてたよね」とよくわかんないくらい3人でいることにハマっていました。私がサークルでの公演を諦めるというのに少し納得できたのも、二人の存在が大きくて。二人のいる場所に、私の居場所はあるな、と素直に思っていたし、実際この一年そうでした。

その後、とりあえず公演延期、様子見ということで会議は終わり、2度と同じメンバーが集まることはなく、

様子見期間が延びに延びて、4月、企画は静かに終わりました。

私はまどりちゃん、かげやまさんとすぐに新しい表現活動の場所を作り、公演予定だった期間も全部そっちに時間を費やし、そこから7月くらいまで3個ぐらいの企画と、デザイン系の仕事を3人で少し受けたりして過ごしました。会えるギリギリまで鳥取砂丘で何か作ろうと訳のわからないことを真剣に話していたし、緊急事態宣言が出てからもリモートで心の距離が出るような感じがなかったのでとりあえず常に手は動いていました。今思えばこんなラッキーなことはなかったし、なぜかユニットの風通しが良くて会ったこともないような人と一緒に何か作ったりして、変な時間でした。今考えても面白いので気になったらインスタか何かで「127」と検索してみてください。

7月中盤。127での企画がひと段落した私は、かげやまさんとまどりちゃんに時間をとってもらい、電話で話しました。もう一回「不確かな空腹」がやりたい。演劇でない、別の形でできないかと。

何を今更。という人もいただろうし、折角脚本に付随する記憶が美しいまま補完されている状態で余計なことをすべきでないとも思ったけれど、私は公演が危うくなってからの半年くらいずっと、上演されなかった脚本は一体どこへいくのか。ということを考えていて、なんというか、それはもう、上演されない限り、なかったのと同じことなんじゃないかと。準備期間に少し、読んで、愛着を持ってくれた人はいても、舞台の上で、丁寧な時間の中で作られていくことを想定された脚本は、上演しない限り、どんどん沈んで、ゆっくり溺死していくんじゃないのか、と思っていって。

それを助けてあげられるのは、私しかいない。私がこれから無意識のうちに蔑ろにしていくであろう人を助ける人はたくさんいても、脚本は、私が書いた以上、私が上演しなければ、誰も掬ってはくれないのだと、どこかで気づいたのでした。


仲間③いおりちゃん:広報

いおりちゃんも他学科の同級生で、

遡ることかげやまさんの家で絵しりとりをしていた時に遅刻していたその人です。

多分その時がいおりちゃんという人をちゃんと認識した初めての日だったと思います。

いおりちゃんは遅刻しているのになぜかその場にいる全員から信頼を寄せられていて、メイドをやっているのだ、と聞かされました。

玄関から勢いよく入ってきたいおりちゃんは、やっぱり可愛くて、よく笑ってよく食べる、すごく健全な女の子でした。

会議中に真剣な顔でゆで卵を机に打ち付けてもなんら違和感がなかったし、そんなに接点も会った回数も多かったわけではないけど、いつか、何気に言ってくれた脚本の感想の形容の仕方が綺麗すぎて、ちょっと恐ろしかったのを覚えています。

不確かな空腹復活計画を立てた私たちは、中止の基準にもなった、延期の場合はそもそも元のメンバーを全員戻してやるのはそれぞれの予定があり無理、というのを前提に、時世柄、金銭柄、場所柄等で検討してもやはり無理だと判断し、今後のサークル内での考えうる波乱の為に、どんなことがあっても笑って乗り越えてくれる人、ということで本当に少人数、誘いました。その中の一人が紛れもないいおりちゃんです。予想通りいおりちゃんはよく笑い、よく食べて、かつよく泣きながら、乗り越えてくれました。どことなくいつもお菓子を探しながらデザインの相談を持ちかけてくるいおりちゃんはずっと変わらずかわいいままだったわけです。

本当に少人数集まり、本格的に動こうと決めたあたりで、以前の役者を誘いました。

ここで、想像していた波乱が起きました。思ったより早かったし、大きかったし、やっぱり堪えるなと思った。

ちょっとこの部分を詳細に書くのは色んな立場で見解や、見ている景色が違いすぎて解釈に差異が出てきそうなので控えますが、なんというか色んな条件が重なり、思っていたより一人で戦う羽目になり普通に病んだ。なんかもう、薬とかまで飲んだ。

誰かに物申しているわけではなく、しんどかった、という話です。

お前が起こしたことなんだから自業自得だろという意見が出ると思いますが、なんか本当にその通りで、おや?本当にここまでやる必要がありますか?みたいにはなりました。

なんか、昔靴箱に集まっている大きいアリたちを隅まで追い詰めて潰して、それをわざわざ部屋にいる私を呼び出してまで自慢してくる同級生がいたのだけど。その、あ、潰そうとしてる、あ、潰れてる、あ、潰れた、みたいな、なんでそこゆっくり時間流れるんだみたいなことが多々あって、自分のやってる事やば、となった。し、お互い様な気もしたし、なんか全然言われたこと全部鮮明に思い出せるし、あ、私こういうこと言われたらこういう反応になるんだみたいなこの期に及んで冷静になって。その後、誰かしらのアリが潰れる様が当分フラッシュバックすることになります。


仲間④⑤ こば、大:役者

これは二人の名前です。

木庭美生(女)と、渡邉大(男)。

見た方に説明をしますと、木庭が燦々音(役名)で、渡邉が奥原(役名)です。

なんか今まで一人ずつ書いてきたのにまとめてだなんてかわいそう、とも思うが、私の高校の後輩です。もう3年くらい、一緒に演劇を作っています。

私がアリを潰し、潰されしている間、丁度夏休みで、呑気に聞こえますが私は二人と毎日夜に筋トレをしていました。毎日やっているのに、毎日2.3時間話していて。なんか毎日の、些末なこととか、アニメの推しがどうとかです。他はちょっと察して欲しい。

なので役者が数人降りた矢先、私はもう二人しかいないと思って筋トレを一日潰し、話を持ちかけました。

ここから、リモートでの役者練が始まります。

言い忘れていた気がしますが、私は福岡出身なので、必然的に後輩は福岡に今もおり、東京と繋いで、役者練をすることになります。

演出の都合上役者は表には出ず、声だけの参加になるので、リモートとは割と相性が良かったというか、演劇のリモート練習となればまた違ったのだろうけど、後々出てくる東京の役者1名と福岡の役者3名での役者練が始まり、この舞台は進んで行きます。


仲間⑥ ちよちゃん:役者

福岡組最後の役者。陸役のちよちゃん。

また私の高校の後輩です。

ですがちよちゃんと現役時代に一緒に演劇を作ったことはなくて、私が部活を引退すると同時に部活に入ってきたので、演技しているちよちゃんを、すごい後輩だなあと他人事ながらずっと思っていて、たまに部活に顔を出すとキラキラした目でこっちを見てくるので、素直に可愛い後輩、といった感じです。

役者が一人足りないとなった時に、確か私の卒部公演を見にきてくれていたちよちゃんをなぜかすごく思い出して、勢いで電話をかけました。

まさかこのタイミングで一緒にできるとは。

もうすっかり11月。上旬にやっと福岡に帰り、東京と繋ぎ、急いで最終演出をつけて、役者4人の声を録音しました。

直接会うとちよちゃんは思ったより小さくて、似合いすぎてるから気づかなかったけどよく見ると変な眼鏡をかけているし、白い長いワンピースを着ていて、え?人間?みたいな感じになりました。あ、すごくいい意味で、です。可愛かった。別れ際遠くで手を振るちよちゃんは今でも鮮明に思い出せます。

このタイミングで私の浸っていた福岡演劇テリトリーの人たちと何人か再会しまして、チラシのはけかたがすごくてなんかあったかかったです。

福岡から東京に戻ってきて少したった頃、何をしていたか、夜の渋谷に私はいて、かげやまさんからメールが来ました。

これも詳細は差し控えますが、ざっくりいうと当分お休みしたいといった内容でした。

やはりこの企画はまどりちゃんとかげやまさんあっての企画だったのでかげやまさんの映像がなくなるのは、ちょっと堪えたけど、なんというかここまで私を連れてきてくれた力が、やはり絶大だったので、このくらいのことあるだろうと言うか、かげやまさんの言うことはまっすぐ尊重できて、まどりちゃんと少し相談して、二人とも冷静なまま、名前だけを残してもらい、おやすみしてもらうことになりました。


仲間⑦ あゆちゃん:制作・映像

まどりちゃんと同じ学科の同級生で、笑上戸で、体力のある、タフなあゆちゃん。

唯一私の無口制作部署時代を知っていて、サークルの現役員。

公演三週間前くらいでほぼ無になった映像を急遽引き継ぎ、加えて「勉強になるから嬉しい」と言ってくれます。

足りないものがあったらインパクトとネジを持ってなんでも作ってくれます。

足が悪いのにすぐにアドレナリンで痛みが麻痺して自転車漕いだり、バイクに乗ったり、バレーボールやろうとしたりする。

ちょっとのことですごく喜んで、ちょっとのことで大笑いして、何だかすごく平和で、豊かな人だなと思います。あゆちゃんの持ってくるものにはよく知恵の輪が付いていて、そんな知恵の輪がついた家の鍵を置いて家を出たかと思えば、みんなの分の素麺を買って戻り湯がき始めて、この人の愛は無償なのかとつくづく思う。

あゆちゃんは公演までの三週間、嫌な素振り皆無で、しずくちゃん!この映像どう!よくない?と毎日キラキラしながら映像を撮ってきて、なんて人だ、完敗だよと思っていました。

そんな同じ時期、早めに私たちは小屋入りしました。

私たちが公演をしたOped Spece Tokyoという場所は、東京の国分寺駅から徒歩7分くらいのところにあります。

中は二階建てで、シユさんという外国人のオーナーの方がやられています。

ギャラリー探しをしている時、偶然入ったギャラリーで、なんていい場所なんだ!と、「ここって借りられたりするんですか?」と軽く聞いたら「改装前だから無料で貸したげるよ」と軽く返事が帰ってきて、それからというもの、軽くLINEを教えてくれて、私たちのわがままを軽く受けてくれるシユさんです。

結果的に約1ヶ月くらい入り浸り、度々出てくる一体いつから掃除してないんだという場所やものを片付け、空気清浄機やクイックルワイパーを持ち込んで、蝋燭を焚いて香りをごまかし、毎日掃除と準備をしていました。

事務所とトイレが近いからみんなトイレに行く時はお気に入りの曲を爆音でかけるし、ギャラリーを出たら鍵をとある場所に入れて後にします。なんというかあそこがなければできなかったこと、たくさんあって。精度の高いプロジェクター、壁に穴を開けること、部屋中に塩をまく、表のガラスにカッティングシートを貼る、オープニングパーティ、他にもいっぱいあって、小屋入りしてからの時間は本当に一瞬で、何より鮮明で、感謝しかないです。匂いも、天井の低さも、ゴミ捨て場も、いつだって思い出せます。

そんなギャラリーで迎える公演約二週間前、舞台が徐々に出来上がり、粗方決まっていた照明が具体的に動き始めます。


仲間⑧ あい子:照明

あい子は私の高校からの同級生で、照明の専門学校に通っています。

もう3年くらい一緒に演劇を作っていて、私はことあるごとにあい子、次はこれね、次はこれやってと、照明以外のことも頼むのだけど、これでいい?と素直にいつもやってくれるし、何より今回私の大学の友達ばかりのコミュニティに一人で飛び込んでくれて、尚且つ公演期間中みんなと幾度となくハグを交わしているのを見て、最強かよ。と思いました。

東京に来てから初めての公演であい子が照明をやってくれたのなら、もういうことは何もないでしょう。というくらいには満足です。いつでも隣にいたのでね。

美術の肝である塩を部屋に流し、照明が決まり、勢いだけで乗り切った映像が繋がって、決まっていなかった音響を、最近ガレージバンド触ったから!とまどりちゃんが二つ返事で手をつけてくれて、私たちみんなのわがままを盛り込んだZ I N Eとチケットと表の看板をいおりちゃんが寝る間を惜しんで作ってくれて、本当にみんな満身創痍だった。

2020年11月28日。13時、17時

2020年11月29日。13時、17時

2020年11月30日。19時、21時


仲間⑨ しんたろうくん:役者

しんたろうくんは今回洋平という役が最初から最後まで離れなかった唯一の人で、

最終的に、役者どころか今回のインスタレーション公演の最も重要な役どころと言うべきか脚本の暗い部分を一手に引き受けた様な、人という素材を舞台の上で担ってくれた人です。

上演時間が近づくに連れ、一人になって暗くなっていくしんたろうくんを見て、

最初にしんたろうくんに会った日、まどりちゃんの隣で笑っていた顔と。

脚本を一番最初に刷る時に、付き添ってくれた顔と。

脚本を読んでからの、考えてる顔と、

それからの、長い、毎日で、いつまでも脚本と向き合ってくれたしんたろうくんが全部繋がって、何だか申し訳なかったし、頼もしかった。

ずっと笑上戸だったのにな、とも思いました。

最後の公演を客席から見ていると、今までの、些末で、積み重なった毎日の記憶が、優しく解き放たれて。

私が大事にできたものと取りこぼしたものが、きれいに露わになって。

寂しくて、

だけど、諦めなくて良かった、

と素直に思いました。

この脚本は、一年をかけて私たちの、不確かな寂しさを吸収して、

一回溺れた、深さまで。そこまでを、しっかり包んでくれる。

些末な自分を、そのまま愛せる様な、汎用性を孕むことができた様に思います。

だから、この1年。

どんな些末なことも、無駄じゃなかった。

どんなことからでも、生きてて良かったと思える。

あの日上演してたら、見えなかったことが、見える。

全ての私たちを連れて、形になった。

みんなみんな、ありがとう。

何だか青春っぽくなってしまったけど、演劇は、関係からしか出来上がらないし、

「不確かな空腹」は、関係のあやうさみたいなものを描いたものだったので、何だかこの一年、脚本とともに、同じ物語を辿っていた様で、変な気分だけど。

思いがけず脚本のインスタレーション公演なんていうよくわからない良いものが、距離も時間も超えて、舞台の上で作られていって、新しかったし、懐かしくもあったし。

良かったです。

ちょっと今まで私が入っていたコミュニティにはない様な繋がりになってしまった気がしていて、みんなストイックで、私には勿体ない。ああ、どうやったらこれを、余すことなく大事にできるかと、ここ数日考えているわけですが、なんというかサークルでの公演がなくなった時の一連と同じ道を辿っていたことにさっき気が付きまして、ああ、まとめるって大事。

好きな時に、また一緒に何か作れればみんなそれぞれで面白がってくれるだろうと、多分すごく簡単なことだろうと思いました。

なので、好きなこと、頑張って行こうとシンプルな感じにまとまりました。

と、いうことで、一区切りついたわけですが、

そんな「不確かな空腹」のMovie editが出まして、それとともにいおりちゃんが大事に大事に作ってくれた素敵すぎるZ I N EとステッカーがB A S Eショップで出てますので、本当に、今からでも見てください。

見たら見た人の数だけ、居心地のいい答えを、出してくれると思います。

一体ここまで読んでくれた人が何人いるのやら。

ごめんなさい、思いがけず長くなってしまった。だけどもう、どこからどこまでが作品かわからないくらいには、没頭していたということですね、

では、関わって下さった全ての方、本当にありがとうございます。

また、どこかで、会いましょうね。

2020年12月5日  脚本・演出 橋谷一滴

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